サーチライトアビス
kino
2026年7月6日 16:55
❦ PROGRAMME
配役
♂ 1♀ 1◇ 0
上演目安
30分
台詞
88
キャスト ── 役名を選ぶと台詞にマーカー(複数可・●で色替え)
44
44
│
死んだ巨大なものが、何十年も次の生命を支えている
深夜。寮の生体灯だけが、ぼんやりと廊下を照らす時間。
ふたつの人影が、足音を殺して部屋を抜け出していく。
ひとりは、この学園に幾人もいない貴族の子――カグラ。
ひとりは、貧民街の生まれの、学園一の問題児――ヒバチ。
連絡通路のハッチには結露が浮いていて、指先でそっと拭うと、その向こうに、旧校舎へつづく暗がりが見えた
旧校舎の一帯は、特殊な圧力隔壁に守られている。
深海のただ中にありながら、素肌のまま歩いても濡れることはない。ただ、温度までは制御しきれないのか、
足を踏み入れた途端、頬に触れる空気は、ひんやりと沈んでいく。
六千メートルぶんの海に、両手で包まれるような冷たさ。
ここから先は、学園の誰も来ない
天井近くの窓の外には、圧された藍色の海がどこまでも広がっている。
かつて教室だった場所には、朽ちた木の机が並んだまま。
黒板の縁には、白い藻がびっしりと張りついている。
誰も座らなくなって久しい椅子の背もたれの上を、
発光する小魚の群れが、ちらちらと横切っていく。
緑がかった淡い光が、埃のように漂うプランクトンを照らして、まるで、雪でも降っているようだった
と、腰の携帯灯が明滅する。
ヒバチ、軽く叩く。叩くたびに、暗くなる
001
ヒバチ:
『え? 最悪、なんかライト壊れたんだけど』
002
カグラ:
「おい、もっとちゃんとリードしろ、まじで」
003
ヒバチ:
『無茶言わないでよ。こちとら今、深海と同じ明るさなんですけど』
<頼りない携帯灯の代わりに、窓の外を泳ぐ深海魚の光が、
廊下にうっすらとした輪郭を描く。>
<古い下駄箱の並ぶ玄関ホールを抜けながら、ヒバチは光る魚影を睨みつけた>
004
ヒバチ:
『なんでこの魚光ってんだよ……キモすぎだろ。
あ、でもおかげでギリ見えるんだなこれが……』
005
カグラ:
「案内人より深海魚の方が頼りになるの、何?」
木造の廊下は所々で軋んで、踏むたび、沈んだ水音のような余韻を残す。
窓の外を悠々と横切る発光魚の群れが、ふたりの影を長く伸ばした
006
ヒバチ:
『うるさいですよ。あのー手繋いで貰えます? 怖いんで』
007
カグラ:
「お前が言うの、何? ……はぁ。ん」
差し出された手を、ぶっきらぼうに握り返す。
冷えた指先が触れた瞬間、ヒバチはわざとらしく声を弾ませた
008
ヒバチ:
『きゃ〜❤︎』
009
カグラ:
「え、きも」
010
ヒバチ:
『言い過ぎ??』
011
カグラ:
「離すぞ」
012
ヒバチ:
『ごめんて』
繋いだ手は、離さないまま。
渡り廊下の大窓の前で、ふと、カグラの足が止まる。
窓の外――藍色の暗がりの、いつもの場所に、一匹の深海魚が浮かんでいる。
生きているのか、死んでいるのか。
三年前から同じ場所で、ぽつ、ぽつ、と白く光りつづけている魚だ
013
カグラ:
「……あの魚、まだいる」
014
ヒバチ:
『いるんだなこれが。生きてんのか死んでんのか、いまだに不明』
015
カグラ:
「調べてないの? 研究者の端くれだろ」
016
ヒバチ:
『調べない優しさってのもあるの。
光ってるうちは、生きてるってことにしてあげたいでしょ』
017
カグラ:
「……ま、ここではそういうことにしといてやる」
魚のむこう、光の届くわずかな範囲を、白い粒がひらひらと落ちていく
018
カグラ:
「……今夜は、雪が多いな」
019
ヒバチ:
『上のほうで、大きいのが死んだのかもね。
……雪ってさ、ほんとは死骸なんだよ。上の海で生きてたものの、かけらとか、食べ残しとか。
何週間もかけて、ここまで降りてくるの』
020
カグラ:
「知ってる。授業でやった」
021
ヒバチ:
『でも底の生きものは、みーんなあれを食べて生きてる。
死んだものが、底のわたしらを養ってる。……この学園と、ちょっと似てるでしょ』
022
カグラ:
「……縁起でもない」
023
ヒバチ:
『一応、褒めてるんだけどなぁ』
ふたり並んで歩く廊下の先、かつての教室の扉は、
蝶番が錆びて、半開きのまま止まっている。
カグラが肩で押すと、扉は水底の獣のような声で鳴いた。
机の上には細かな砂。壁一面には、藻の緑。
まるで誰かが、まだ授業を待っているかのような教室に、
ふたりは、ばらばらの席を選んで腰を下ろした。
カグラは窓際のいちばん前。
ヒバチは窓に張りつくようにして、いちばん後ろ
人の気配に気づいたのか、窓の外に、発光する小魚が集まりはじめる。
ヒバチが硝子に手のひらを当てると、
その熱を慕うように、光の粒がひとつ、またひとつ、指の形に並んでいく。
まるで、手袋の形をした星座だった
024
ヒバチ:
『<硝子ごしに魚をなぞりながら> ほら見て。今日もモテモテ』
025
カグラ:
「魚にだけな」
026
ヒバチ:
『魚にだけって言うな』
カグラ、机に積もった砂を手で払う。
舞い上がった埃が魚の光を受けて、
教室の中にも、ちいさな雪が降った。
それを目で追ってから、カグラは肩掛けの鞄から、一冊の古い本を取り出す。
乾いた紙の匂い。この世界では、それだけで貴族の証だった
027
ヒバチ:
『……なにそれ』
028
カグラ:
「書庫から、こっそり。……『深海幽世録』。
沈んでから百年目に、名前のない誰かが書いた本。
歴史書なのか、お伽噺なのか、お経なのか、学者もいまだに決めかねてる」
029
ヒバチ:
『かくりよ?』
030
カグラ:
「幽世。死んだものたちの世界、って意味の古い言葉。
昔の人間は、それが地の底にあると信じてた。
でもこの本は、ぜんぶ逆さまに書くんだ。
――私たちが底に沈んだから、幽世は、上になったって」
031
ヒバチ:
『……上が、あの世』
032
カグラ:
「そ。で、書き出しの一行は、あんたも知ってるよ」
033
ヒバチ:
『え?』
034
カグラ:
「――死んだ巨大なものが、何十年も次の生命を支えている」
035
ヒバチ:
『……あー! 式典でお偉いさんが必ず言うやつ』
036
カグラ:
「あれ、この本の一行目。みんな出典も知らずに唱えてるんだよ」
カグラ、頁をひらく。
藻の明かりが紙の上でゆらめいて、
古い文字が、水面ごしに読むように揺れた
037
カグラ:
「最初の帖は、地上の話。……声に出すと、ちょっとこわいよ」
――『深海幽世録』 焔ノ帖・三 ――
ひとは 森を薪とし
海を溝とし
空を煙突とした
さいごに ひとは
たがひを 燃料とした038
ヒバチ:
『<手は硝子に当てたまま> ……燃料って、たとえでしょ?』
039
カグラ:
「たとえだといいなって、学者はみんな思ってる。
熱の時代の終わり、涼しい土地は世界に三つしか残らなかった。
人間はそれを取り合って、最後の戦争をした。
……そのころの海は、夜でも明るかったらしい。
流したものが燃えつづけて、沿岸がずっと、金色だったから」
040
ヒバチ:
『海が? 水って燃えないでしょ』
041
カグラ:
「海に浮かべたものが燃えたんだよ。油も、捨てたものも。何年も。
当時の子どもの手記が残っててね。
夜の海がきれいだった、って書いてあるんだ。
……誰もその子に、あれが何の色か、教えてやらなかった」
ヒバチ、なにも言わない。
硝子のむこうで、罪のない光が指先に集まっては、ほどけていく。
窓の外の雪が、魚の光にかすめられて、一瞬だけ金色に見えた
042
ヒバチ:
『……で? 燃やし尽くしたあと、どうしたの』
043
カグラ:
「下りた。二番目の帖が、その話」
――『深海幽世録』 沈ミノ帖・七 ――
方舟は えらばれし者のためならず
あまされし者のために 沈められたり
切符を数へし者も
数へられし者も
ひとしく 底の子となる044
ヒバチ:
『あまされし者……』
045
カグラ:
「勝った側は、涼しい土地と一緒に、最後まで地上に残った。
沈んだのは、行き場のなかった側だよ。……私たちは、余りものの子孫」
046
ヒバチ:
『貴族様も?』
047
カグラ:
「切符を数えてた係、ってだけ。誰を乗せて、誰を乗せないか。
その名簿に印を押してたのが、うちの家系。
だからうちの書庫には、この本の写しがいちばんいい棚にある。
……お守りなのか、罰なのかは、知らない」
048
ヒバチ:
『…………ふうん』
窓の外を、ひときわ大きな光の帯が、ゆっくりと横切っていく。
発光する群れが天井近くをよぎるたび、
朽ちた黒板が、緑いろの淡い昼になる。
沈んだ教室はその一瞬だけ、海の底ではなく、
春の森の、木漏れ日の下みたいだった
049
ヒバチ:
『……地上に残った、勝った側は?』
050
カグラ:
「記録は途切れてる。誰も何も知らない。
ただ――最後の帖だけ、ずっとあとの時代に書き足されてるんだ。
観測筏が海面まで上がって、幽世を覗いてくるようになってからの分」
――『深海幽世録』 凪ノ帖・終 ――
ひとの絶えし岸辺に 鳥かへり
油の海に 魚かへり
幽世は しづかに 息を吹きかへす
底のわれらは 雪を食むもの
死したるものに 養はるるもの
いつか 波の音を聞くもの051
ヒバチ:
『……誰もいないんだ。もう、上には』
052
カグラ:
「人間はね。そしたら、たった数世代で、地上は勝手に治りはじめた。
岸辺に鳥が巣を作って、魚の群れが戻って、森が海まで下りてきてる。
……笑うよな。私も最初に読んだとき、笑うしかなかった」
053
ヒバチ:
『<魚を目で追いながら> ……ん? てか真ん中のとこ。
死んだものに養われるって、それ、さっき私が言った雪の話じゃん』
054
カグラ:
「そ。あんた、百年前の坊主と同じこと言ってたんだよ」
055
ヒバチ:
『えっへん』
056
カグラ:
「なんで威張る。……でも、私が好きなのは最後の行。
雪を食むもの。死んだものに養われるもの。
――いつか、波の音を聞くもの。
書いた人はさ、百年前から知ってたんだよ。
底の私たちが、いつか上を向く日が来るって」
057
ヒバチ:
『……上は、あの世なんでしょ?』
058
カグラ:
「もう誰のものでもない、ってことだよ。
だから行くなら、お邪魔しますって行くしかない。
燃やす側じゃなくて、今度こそ、教わる側として」
教室の埃の雪が、ゆっくりと机に降り積もっていく。
本を閉じる音が、水の底で、やけにやわらかく響いた。
――その静けさに置くように、カグラが問う
059
カグラ:
「もし地上に行けたら、なにするの」
ふと零された問いに、ヒバチは窓の外を見たまま答える
060
ヒバチ:
『……凪渡りの話? 人間共め、遂にって感じ』
061
カグラ:
「お前も一応人間だろうが。……四回目の選抜、来期から始まるよ。
私は渚の研究員枠で希望出すつもり。
あんたも水先案内人の枠で出しな」
062
ヒバチ:
『いや〜、厳しいでしょ。権力争いはごめんだね』
教室の窓に映るふたりの影が、深海魚の光でゆらゆらと歪む。
カグラは机の縁を指で叩きながら、それでも、どこか強い口調で続けた
063
カグラ:
「群青の水域を、まさかその歳で発見して、探索まで行えたのはあんただけなんだよ?
権利がないわけじゃない」
064
ヒバチ:
『それは、こいつらが教えてくれただけだしさ。<窓の魚影を指で追って> それに』
065
カグラ:
「それに?」
066
ヒバチ:
『最近、組織に目をつけられてるかも。危ない危ない』
067
カグラ:
「あんたそんなんばっか」
軽く小突かれて、ヒバチは肩をすくめる
068
ヒバチ:
『えへへ……イテテ』
069
カグラ:
「……今日は流さないぞ。目をつけられてるって、どこに」
070
ヒバチ:
『<なんでもないことのように> どこだろうね。
貧民街の生まれが水域の第一発見者ってのが、そもそもお偉方には目障りなんでしょ。
先週、書類が来たの。
在学中に水域の権利を学園へ寄贈すれば、卒業後の職を保証する――だってさ。
やさしいよねぇ、うちの学園。やさしくて、うすら寒い』
071
カグラ:
「……その書類の印章、うちの学区のものだったりする?」
072
ヒバチ:
『<笑って、答えない>』
073
カグラ:
「……だから、なんだよ。だから底にいたら駄目なんだって」
やがて、どちらからともなく席を立つ。
教室を出て、軋む廊下を、さらに奥へ。
旧校舎のいちばん奥、かつて職員室だったらしい部屋の前まで来ると、
ふたりは自然と足を止めた。
窓の向こうを、ひときわ大きな発光生物が、ゆっくりと横切っていく。
帆のようなヒレが藍色の水をやわらかく掻いて、
通り過ぎたあとには、光の粒がしばらく尾を引いた。
その光を目で追いながら、カグラはぽつりと言った
074
カグラ:
「……私さ、地上でも研究やるから手伝ってよ」
075
ヒバチ:
『無理だよ。頭悪いもん』
076
カグラ:
「海洋生物の採取をさ?」
077
ヒバチ:
『嫌だよ。潔癖だもん』
078
カグラ:
「使えねーな、いいからOKって言えよ」
079
ヒバチ:
『無茶ばっかり言うなぁ』
カグラ、繋いでいた手を離す。
かわりに懐から端末を出して、ヒバチの目の前に掲げた。
小さな画面の白い光が、暗い廊下にひとつ増える
//―― 凪渡り計画 第四期選抜 ――
// 応募申請 No.0004-217
applicant = {
name: "______",
class: "水先案内人",
score: "―(実績考慮・審査免除)",
note: "群青の水域 第一発見者",
refer: "研究員候補 カグラ(連名)",
};
// 提出期限: 雪の三十日まで
submit();080
ヒバチ:
『……なにこれ。ほぼ書き終わってんじゃん』
081
カグラ:
「名前の欄だけ空けてある。そこは私の字じゃ駄目だろ」
082
ヒバチ:
『審査免除。連名。……はー。手回しいいなぁ、もう』
083
カグラ:
「底で署名を待たれてるより、船の上の方がまだ安全だと、私は思うね」
084
ヒバチ:
『……無茶ばっかり考えるなぁ』
沈黙が挟まる。
窓の外の発光魚たちが、まるで満天の星のように、廊下を横切りつづけていた。
ヒバチは職員室の扉に背を預けて、膝を抱えるように座り込み、
その光を、ぼんやりと眺める
085
ヒバチ:
『……私は、諦めも大事だと思うよ。
暗い海の底でさまよう、あの深海魚みたいに、
海底の学校で、自由気ままにふらふらしててもいいと思うけど』
カグラは、答えない。
星に似た光が、ふたつの影の上を、いくつも流れていく
086
カグラ:
「…………」
087
カグラ:
「もううんざりなんだよ」
その声は思ったより低く、廊下の暗がりに沈んでいった。
ヒバチが何か言いかけて、やめる。
カグラは、天井近くの窓を見上げている。
雪のように降るプランクトンの、そのずっと上。
六千メートルの水の、そのまた上にあるはずの、見たことのない明るさ。
――これは、カグラの、声にならない声
088
カグラ:
私は光がみたい。手を伸ばして、眩しさを手の中に得たい。
自由にどこまでも歩いて、波の音を頼りに、海を探しに行くんだ。
そしたら、
そしたらそこにお前がいて、私はやっと安心出来るんだ。
幕